Things could be worse.

聞いてほしいひとりごと。

肘掛けと美しさ。

マナーを守らない人が嫌いだ。

 

今日からゴールデンウィーク(10連休‼︎)ということで、地元福岡へ帰省するために新幹線に乗っている。

堂々たるホワイト企業

ありがたや。

 

ところでなぜ新幹線の座席と座席の間の肘掛けは一つしかないのか。

座席分の利用者数を想定して作っているはずなのに、肘掛けが十分にないのはおかしい。

そんな作りにしたせいでこの世に存在するストレスが確実に増えてしまうことまで想定できなかったのか。

 

私より先に座っている人が、私が隣に座ることを認識しても尚、真ん中の肘掛けを我が物のように使っていることがままある。

早い者勝ちだという理論なのか。

仮にそうだとしても肘掛けを占有しつつ更にこちら側に肘を迫り出して座る無礼者は一体何様のつもりなのか。

細くても肘掛けを人数分用意してくれていれば、こんなイライラ自体が存在しなかったのではと新幹線に乗るたびに思ってしまう。

ちなみに一部の映画館の座席でも同じ作りになっているが、あれは隣の女の子の手に触れられるというメリットが生まれるので例外とするというかありがとうございます。

 

道の真ん中に突っ立って周りが見えていない人も理解に苦しむ。

なぜ人通りの多い往来や細い道に限って、意図して邪魔しているかのようにそこにいるのか。

しかも大抵は内輪話で盛り上がっていたり、スマホに夢中になっていたり、二次会に繰り出すタイミングを掴めずうだうだしていたりとしょうもない理由ばかりだ。

 

そりゃあ私を含め人間いろんな理由でふと立ち止まることはある。

立ち止まっているその人が苦しい面持ちだったり、今にも涙しそうな表情なら責める気も起きない。

ふと道に迷って立ち止まることもあるだろう。

ではなぜその後、まずは脇に逸れようという発想に移らないのか。

気持ちに余裕がなければ少し時間がかかってからでもいい、なぜ今の自分の存在が誰かの迷惑になっているかもしれないと考えようとすらしないのか。

自分を、特に自分の悪いところを振り返らない人間に成長はないと思う。

やはり人間、足も心も立ち止まった後にどう動き出すかが大事だ。

 

以前Twitterを見ていたら、こんなつぶやきがあった。

「日本語ではね、『とても美しい』よりも『美しい』のほうが美しいんです。」

本当にその通りだと思う。

うだうだとここがこうでだからどうだなんて書き連ねるのは美しくない。

本当に伝えたいことこそ、簡潔に、わかりやすく伝えるべきだ。

 

ということで今日のこのブログからわかるのは下記の2点。

・文章が長々しくて美しくない。

・マナーを守らない人が本当に心から大嫌いだ。

日本語って面白い。