餃子とことわざ
今日は発明の日らしい。
発明といえば餃子だろう。
あれは中国人を尊敬する理由の筆頭だ。
小さい頃餃子と言えば母の手作りだった。
ときどき兄妹三人餡を包むのを手伝ったのは楽しかった覚えがある。
餃子の皮には「少し少ないかな?」と思うくらいの餡を入れると、包みやすく、綺麗な餃子ができる。
小さい頃から将来は横綱になると親戚中から言われるほど大食漢だった私は、いつも餡をたくさん入れたがり、案の定溢れたり、綺麗なヒダが作れずにいた。
子どもながらに『過ぎたるは尚及ばざるが如し』を学んだ瞬間である。
しかし結婚した今、我が家の餃子と言えば味の素の冷凍食品だ。
妻の手抜きだなどとは微塵も思っていない。
まったく不満もない。
なぜなら油を使わずとも驚くほどおいしいのだから。
このままいけば6月に2歳になる娘にとっては餃子=味の素になるのだろう。
そういえば私は小さい頃ソーセージのことをプリマと呼んでいた。
メーカ名のプリマハムからきているわけだが、あれがプリマじゃないとわかってからも私にとってはプリマだった。
今でもソーセージと呼ぶたびに少し違和感を感じるほどに。
そうなると娘はある日の夕食に「味の素が食べたい!」と言い出すかもしれない。
かわいいやつめ。
でもそうなると家族で餃子を包む楽しみは知らないことになってしまう。
それはなんともさびしい。
たまには餃子を家族で手作りしよう。
せっかく大阪にいるんだからたこ焼きもいいな。
想像するだけでも楽しくなってきたが、ふと今自分が餃子の王将のカウンターにいるのを思い出した。
餃子定食のダブルを食べ終えてお腹が苦しい。
未だ『過ぎたるは及ばざるが如し』を実践できていない30歳。
娘に嫌われたらどうしよう。
誰だ餃子なんか発明したのは。