読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Things could be worse.

聞いてほしいひとりごと。

新幹線とお土産

東京に行く機会が増えている。

 

今年度から異動した今の部署では展示会などに行かせてもらう機会が多い。

展示会といえば東京だ。

やっぱり大都会東京はイベントに事欠かない。

加えて若手向け研修に関わらせてもらうことにもなり、それで東京出張が増えたせいだ。

会社が私に新幹線代とホテル代を出す価値があると認めてくれたということでありがたい話だ。

 

東京には大阪より友達が多くいて、今までなかなか行けていなかったこともあり、会いたい人がたくさんいる。

行くたびに、会えなかった友達に「声かけてくれよ!」と文句を言ってもらえるのが殊更嬉しい。

 

そんな中、会える幸運に恵まれた人にはできるだけお土産を持っていく。

もちろんお土産をもらうという小さなイベントを相手に体験してほしいからだ。

他にはセンスがいいと思われたいとか、わざわざ自分と会うために時間を割いてくれた相手への感謝とか、いい時間だったと思ってもらうための手助けでもある。

 

でも一番の理由はお土産を選んで、買う時間が自分で楽しいからだ。

その土地の特産という言葉どおり、できれば大阪らしいものを渡したい。

そうして探して、それらしいものを見つけたときの満足感。

渡した相手の反応を想像しているときのわくわく感。

渡すまでの時間まで楽しませてくれるお土産は私にとってもギフトである。(なんのこっちゃ)

 

個人的にはお土産は

・さっと渡せるもの(大きさとしても金額としても)

・中身はもちろん外見も魅力的なもの

・日持ちするもの(または日持ちしない分特別なもの)

・すぐには手に入らないもの(今の時代東京相手にはこれが一番難しい)

という条件を満たせたら尚良いと思っている。

 

そういう意味では今日は新幹線に飛び乗る前の5分で、ある程度条件を満たしたと思えるお土産を買えたのだから、道理で今達成感があってわくわくしているわけだ。

仕事はまだ始まってもいないというのに。

 

このブログを今回お土産を渡す前に見られることがありませんように。

そして私からのお土産で少しでもいいから驚いてくれたら嬉しい。

なにより私と過ごす時間が少しでも有意義でありますように。

お土産で嵩増しして間に合うくらいには盛り上げられるようがんばります。

肘掛けと美しさ。

マナーを守らない人が嫌いだ。

 

今日からゴールデンウィーク(10連休‼︎)ということで、地元福岡へ帰省するために新幹線に乗っている。

堂々たるホワイト企業

ありがたや。

 

ところでなぜ新幹線の座席と座席の間の肘掛けは一つしかないのか。

座席分の利用者数を想定して作っているはずなのに、肘掛けが十分にないのはおかしい。

そんな作りにしたせいでこの世に存在するストレスが確実に増えてしまうことまで想定できなかったのか。

 

私より先に座っている人が、私が隣に座ることを認識しても尚、真ん中の肘掛けを我が物のように使っていることがままある。

早い者勝ちだという理論なのか。

仮にそうだとしても肘掛けを占有しつつ更にこちら側に肘を迫り出して座る無礼者は一体何様のつもりなのか。

細くても肘掛けを人数分用意してくれていれば、こんなイライラ自体が存在しなかったのではと新幹線に乗るたびに思ってしまう。

ちなみに一部の映画館の座席でも同じ作りになっているが、あれは隣の女の子の手に触れられるというメリットが生まれるので例外とするというかありがとうございます。

 

道の真ん中に突っ立って周りが見えていない人も理解に苦しむ。

なぜ人通りの多い往来や細い道に限って、意図して邪魔しているかのようにそこにいるのか。

しかも大抵は内輪話で盛り上がっていたり、スマホに夢中になっていたり、二次会に繰り出すタイミングを掴めずうだうだしていたりとしょうもない理由ばかりだ。

 

そりゃあ私を含め人間いろんな理由でふと立ち止まることはある。

立ち止まっているその人が苦しい面持ちだったり、今にも涙しそうな表情なら責める気も起きない。

ふと道に迷って立ち止まることもあるだろう。

ではなぜその後、まずは脇に逸れようという発想に移らないのか。

気持ちに余裕がなければ少し時間がかかってからでもいい、なぜ今の自分の存在が誰かの迷惑になっているかもしれないと考えようとすらしないのか。

自分を、特に自分の悪いところを振り返らない人間に成長はないと思う。

やはり人間、足も心も立ち止まった後にどう動き出すかが大事だ。

 

以前Twitterを見ていたら、こんなつぶやきがあった。

「日本語ではね、『とても美しい』よりも『美しい』のほうが美しいんです。」

本当にその通りだと思う。

うだうだとここがこうでだからどうだなんて書き連ねるのは美しくない。

本当に伝えたいことこそ、簡潔に、わかりやすく伝えるべきだ。

 

ということで今日のこのブログからわかるのは下記の2点。

・文章が長々しくて美しくない。

・マナーを守らない人が本当に心から大嫌いだ。

日本語って面白い。

餃子とことわざ

今日は発明の日らしい。

発明といえば餃子だろう。

あれは中国人を尊敬する理由の筆頭だ。

 

小さい頃餃子と言えば母の手作りだった。

ときどき兄妹三人餡を包むのを手伝ったのは楽しかった覚えがある。

餃子の皮には「少し少ないかな?」と思うくらいの餡を入れると、包みやすく、綺麗な餃子ができる。

小さい頃から将来は横綱になると親戚中から言われるほど大食漢だった私は、いつも餡をたくさん入れたがり、案の定溢れたり、綺麗なヒダが作れずにいた。

子どもながらに『過ぎたるは尚及ばざるが如し』を学んだ瞬間である。

  

しかし結婚した今、我が家の餃子と言えば味の素の冷凍食品だ。

妻の手抜きだなどとは微塵も思っていない。

まったく不満もない。

なぜなら油を使わずとも驚くほどおいしいのだから。

このままいけば6月に2歳になる娘にとっては餃子=味の素になるのだろう。

 

そういえば私は小さい頃ソーセージのことをプリマと呼んでいた。

メーカ名のプリマハムからきているわけだが、あれがプリマじゃないとわかってからも私にとってはプリマだった。

今でもソーセージと呼ぶたびに少し違和感を感じるほどに。

 

そうなると娘はある日の夕食に「味の素が食べたい!」と言い出すかもしれない。

かわいいやつめ。

でもそうなると家族で餃子を包む楽しみは知らないことになってしまう。

それはなんともさびしい。

 

たまには餃子を家族で手作りしよう。

せっかく大阪にいるんだからたこ焼きもいいな。

想像するだけでも楽しくなってきたが、ふと今自分が餃子の王将のカウンターにいるのを思い出した。

餃子定食のダブルを食べ終えてお腹が苦しい。

未だ『過ぎたるは及ばざるが如し』を実践できていない30歳。

娘に嫌われたらどうしよう。

誰だ餃子なんか発明したのは。

父親と鼻づまり

あなたが目指す人は誰ですか?

そう聞かれたら父親と答える。

 

真面目で、タバコは吸わず、お酒もほどほど。

父の年代としては背は高いほうだし、顔も悪くない(というかいい方だろう)。

それでも母以外の女の気配はもちろん、そもそも女性への執着というかこだわりというか性的目線があるのを感じさせない。

身内だからわからないだけかもしれないが。

(最も似ていないところだ。)

 

銀行員として、地銀ではあるが支店長を経て今は関連会社の取締役らしい。

どんな仕事してるの?と聞くと紙にハンコを押すのが仕事で、そのハンコが重くて疲れるんだと答えるのが子供の頃からのいつものやりとり。

今思えばそういう地位を務めてきたということになる。

 

物心ついたときから父はお腹が出ているイメージだ。

新婚時代に仕事で帰りが遅いのに奥さんの手料理を食べないかんけん太ったと言うが、そのくせ好きな食べ物はマクドナルド(あえてハンバーガーとは書かない)やピザのようなファストフード。

これは結局母の手料理が美味しく、健康に気を遣ってきてくれたことの表れだろう。

 

なんだかいいことばかり書いたが実際大きな欠点がない人だ。

祖母が亡くなったときも、立派に務めを果たした。

尊敬している。

そんな父が目標と言う割に、父とは違う生き方をしている。

似ているのは安定した仕事、いい伴侶、よく食べること、使うときはがっつりお金を使うこと、鼻炎に悩まされていること。

他は前述した不真面目さを筆頭に似てないところだらけだ。

父から受けた影響は多分にあり、それについては思い出したときに書いていきたい。

全部書くと、スマホでブログどころじゃなくなってしまうから。

 

ちなみに私の顔は母親似だが、唇だけは父譲りだ。

下唇が厚い。

造形はそっくりなのに、その活かし方は父とは真逆かもしれない。

親不孝ならぬ親不幸にならないよう、少しは父を見習って真面目に仕事をしよう。

 

眠くなってきた。

父も私も鼻づまりなく眠れますように。

噂どころかブログに書かれたことで父がくしゃみで眠れないなんてことがありませんように。